絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

「敬叟禅師産塚(けいそうぜんじうぶづか)」

文字サイズ:

「敬叟禅師産塚(けいそうぜんじうぶづか)」

平成4年6月号

 町道阿保勝地線の北山・楠井製材所の上に、「敬叟禅師産塚」の顕彰碑がある。去る昭和54年の師走に、高僧の遺徳を偲んで、上野市、小森清義氏が建てられた。

 敬叟禅師は、この碑のそばの福島家に、寛永3年(1750)に生まれ市兵衛と称した。生まれながらに英知に富み、勉学の志強い人だった。

画像の説明

 幼くして勝地の山内家に家僕として奉公した。ある日のこと、主人の山内儀左衛門に下駄で顔をなぐられたことに腹を立て、その下駄を奪い取るとそのまま遁走し、上野の禅林山渓寺に駆け込んで出家の決意を披瀝し、弟子となることを嘆願した。

 当時の山渓寺には第8世天嶺玄旻和尚で、入山を許された市兵衛は禅の修業に励むことになった。もともと佛敎に関心が深かった市兵衛は、高僧の下で修業を積んで禅法の深渕を極め第10世山渓寺住職となる。

 当時、凶作が続いた農民は年貢米の供出に苦しみ、免租の嘆願をしたが取り上げられない事を不服として、下友生の絈屋純次廊が上訴状を携えて江戸に下り、幕府に直訴した。その上訴文を作成した敬叟禅師は投獄され、寛政4年(1792)久米川原で打首となった。今年で刑死してから丁度190年を迎える。




平成4年目次
137.高尾の庵山(いおやま)と西方寺の跡 平成4年1月号
138.腰山の氏神 飛龍神社 平成4年2月号
139.善福寺 平成4年3月号
140.特別天然記念物オオサンショウウオ 平成4年4月号
141.珍しい観音寺の石の地蔵堂 平成4年5月号
142.「敬叟禅師産塚(けいそうぜんじうぶづか)」 平成4年6月号
143.腰山の愛宕講 平成4年7月号
144.安保氏の屋敷跡か 桐ヶ谷城跡 平成4年8月号
145.血首の井戸 平成4年9月号
146.青山地蔵 平成4年10月号
147.阿弥陀さまとお花畑 平成4年11月号
148.経済と生活に貢献した中部電力阿保発電所 平成4年12月号

目次平成5年

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional