絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

万葉の桜がしのばれる阿保山の桜

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万葉の桜がしのばれる阿保山の桜

昭和56年4月号

 サイタサイタサクラガサイタ、春の訪れを告げるこの言葉は、昭和初期の小学校1年生の読本(国語の教科書)の第1頁に載せられていた名句である。桜は昔から日本春を象徴する花とされ、歌にも数多くうたわれてきた。

昭和10年頃のさくら山風景ー写真は富岡巳義氏提供ー

 万葉集の巻十に「阿保山の桜の花は今日もかも、散り乱るらむ見る人無しに」という一首があり、この阿保山とは青山町のどこかだろうといわれている。阿保のつつじが丘公園は、通称『さくら山』といわれ、毎年爛漫の花が見られるが、万葉の昔も、このあたりに桜の名木があったのではなかろか、と想像すると春がいっそう楽しくなる。

 この山に建てられている『小川正翁頌功碑』によると、大正12年に今の天皇陛下が御結婚されたことを記念して、阿保町保勝会がここに公園を造り、つつじや桜を植えたということである。昭和5年に参宮急行(現在の近鉄)が開通して以来は、沿線における桜の名所となり、観桜のため遠近より多くの人が訪れるようになったとも刻まれている。

昭和10年頃のさくら山風景
ー写真は富岡巳義氏提供ー

 阿保の前田正雄氏が作詞した
〔花 見〕 
 春はさくらのつつじが丘に 誰が待つ夜の灯がともる サアヨイヨイの阿保の町
〔夜 桜〕  
 山のぼんぼり灯のいる頃は 恋の花咲く丘こいし サアヨイヨイの阿保の町
 という阿保小唄が盛んにうたわれたのもこの頃である。また、たわらや、丸万、吉清の三料亭が山に出店を設けていたことにより、その酒ときれいどころと花吹雪に酔い、うかれる人が多かった。

 こうした桜景気も、戦争のために立ち消え、戦中には伐木、戦後は老衰で、一時期さびれていたが、今は2代目がきれいに咲くようになった。できれば『万葉の桜碑』も建ててみたいものである。




昭和56年目次
7.伊勢参りの僧が再建した護国山天照寺 昭和56年1月号
8.阿保親王といわれる息速別名の墓 昭和56年2月号
9.寺と桜と滝とうたわれた名所の滝仙寺 昭和56年3月号
10.万葉の桜がしのばれる阿保山の桜 昭和56年4月号
11.小川内で発見された石器の原石 昭和56年5月号
12.奥鹿野で語りつがれた神穴伝説 昭和56年6月号
13.深瀬渓谷の隠れた名滝高尾観音瀑 昭和56年7月号
14.湯神楽の笹は水難除け水神まつり 昭和56年8月号
15.天正伊賀乱の緒戦地伊勢路掛田城 昭和56年9月号
16.青山最古の開拓地か羽根塚原遺跡 昭和56年10月号
17.秋まつりの伝統行事獅子舞い 昭和56年11月号
18.天狗の難所がトンネルに伊賀の中山 昭和56年12月号

目次昭和57年

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