絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

五智如来と勝地の里ー北山辺りー

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五智如来と勝地の里ー北山辺りー

昭和60年1月号

 青山町旧上津谷の中程に勝地という里があります。此の地のお寺を日照山勝福寺と称し昔は古義真言宗でしたが、新義真言宗豊山派に属し現在は室生派のお寺です。住職の伊藤教如さんは室生寺の高僧です。
 
 如来堂に祀られる五智如来は伊賀路では古い時代のものです。大日如来を中央に安置し阿閃、室生、阿弥陀、不空成就の四如来を五智石仏とし五智とは五智成就の五如来をいう金剛界の五智の如来を構成し、大日如来は高さ56cm、仏身35cm、台座14cm、銘文、文明12年11月日とあります。

 阿閃如来像は高さ58cm、仏身45cm、台座14cm、室生如来像は高さ59cm、仏身34cm、台座15cm、不空成就如来は台分銘文、元文三戌午元7月日念仏講中とあり阿弥陀如来と不空成就如来のみ銘年刻があります。詳細は、町史文化財の項を見てください。

画像の説明

 次には勝地の里石について私考を申述てみます。土地に伝わる古い言葉に勝地本尊北山地所とあり、之は勝軍地蔵尊の事と思います。

 勝軍地蔵は火の神であり、軍の神と言われています。勝軍地蔵の画像に鎧を着けた姿があり、今の愛宕山の下に愛宕社秋葉社があり北山の守護神として祀られています。

 元の神は勝軍地蔵で、しょう地名この二宗を受けて勝地となり布引山系の勝地字大坪の奥山川上流に座す奥山愛宕権現社はこの神で伊賀に於ける有名社であります。

 愛宕山は古来鼓が峰と称し、京都愛宕社の分霊を祭祀俗に愛宕山と呼ぶ事になる愛宕山のふもと東に日照山勝福寺、西に朝日山喜福時が創建され、共に太陽神の天照大神即ち大神如来之の信仰を深め亦火の神愛宕社神即勝軍地蔵信仰が根強く伝えられるように思われる。




昭和60年目次
53.五智如来と勝地の里ー北山辺りー 昭和60年1月号
54.南朝の要害・・・高尾の城跡 昭和60年2月号
55.椎の古木 昭和60年3月号
56.江戸時代の上野街道 かんじょう坂 昭和60年4月号
57.岡田の括り地蔵への参詣 世直し捕縛(しばられ)地蔵尊 昭和60年5月号
58.いまも生きる石の燈籠 平穏と安全を希求して 昭和60年6月号
59.県指定天然記念物クマガイソウ群落 昭和60年7月号
60.青山の語源になった阿保山の昔話 昭和60年8月号
61.生活に密着した青山の竹林 昭和60年9月号
62.古刹 上津山宝珠院 昭和60年10月号
63.福丸こっこ 昭和60年11月号
64.阿保地名考 昭和60年12月号

目次昭和61年

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