伊勢参りの僧が再建した護国山天照寺
伊勢参りの僧が再建した護国山天照寺
昭和56年1月号
足利将軍の威光が衰え、世に戦国の兆(きざし)が見えはじめた大永3年(1523)の正月、伊勢参宮をすませた一人の和尚が汐見峠を越え、霧生の里に下りてきた。日は既に没し、靄(もや)があたりの一面を覆っていたので、それ以上は足をのばせず、麓の古寺に一夜の宿を乞うことにした。
当時、大和と伊勢を結ぶ道は、青山峠より汐見峠越えの方が、より多く利用されていたという。三輪の人でもあった和尚も何回かこの道を往復して、天照大神(伊勢神宮)に祈願していたのである。
その夜、和尚は大神のお姿を夢に拝して悟りの境地に達し「この地こそ我れ開山すべき地なり」と荒れ果てていた堂塔を建て直したのが今日の天照寺であり、開山した和尚は名を洞俊といった。
町内唯一の鉄筋コンクリートの護国山天照寺の本堂
ここには、もともと法相宗長楽寺という大きな寺があり、南北朝の頃には護国山祥雲院天正寺と称し、七堂伽藍を備えた大寺院であったといわれる。洞俊和尚によって立派に再建された建物は、58年後の天正伊賀乱ですべて焼失し、再再建されているが、同時に高尾の万松寺(床並)観音寺(原池)西明寺(奥出)もその末寺として開山された。
現在の本堂は、昭和49年に、26世の泰峯和尚が、開創600年を記念して新築したもので、町内では唯一の鉄筋コンクリート造り寺院でもある。
霧生は、険しい山に囲まれた小盆地で、霧の多い日が多いところからそう呼ばれてきたのだろうが、その霧の中から生まれ天照らす朝日のように、国の平和と人びとの安全を見守ってくれる、古い由緒の新しいお寺が、霧生の護国天照寺というわけである。
昭和56年目次
7.伊勢参りの僧が再建した護国山天照寺 昭和56年1月号
8.阿保親王といわれる息速別名の墓 昭和56年2月号
9.寺と桜と滝とうたわれた名所の滝仙寺 昭和56年3月号
10.万葉の桜がしのばれる阿保山の桜 昭和56年4月号
11.小川内で発見された石器の原石 昭和56年5月号
12.奥鹿野で語りつがれた神穴伝説 昭和56年6月号
13.深瀬渓谷の隠れた名滝高尾観音瀑 昭和56年7月号
14.湯神楽の笹は水難除け水神まつり 昭和56年8月号
15.天正伊賀乱の緒戦地伊勢路掛田城 昭和56年9月号
16.青山最古の開拓地か羽根塚原遺跡 昭和56年10月号
17.秋まつりの伝統行事獅子舞い 昭和56年11月号
18.天狗の難所がトンネルに伊賀の中山 昭和56年12月号