兼好法師の恋ざんげ
兼好法師の恋ざんげ
平成7年9月号
種生の国見山で隠遁生活を送ったといわれる兼好法師は若い頃、京の都で天王に仕える武士だった。同じく宮中務めの小弁(しょうべん)の局(つぼね)という娘に恋をしたが、娘の親に反対され、この恋は実らなかった。それで世の中がいやになり、青山町に隠れ住むこととなった。
ある夏の日暑い日、長谷寺へ参り、そこで服部元成という申楽師(さるがくし)と、その妻卯木(うつぎ)と出合い、お互いの恋の顛末(てんまつ)を語り合うことになる。
兼好法師画像(種生常楽寺蔵)
元成は、名張の小波田で能の一座を旗揚げした観阿弥の父で、卯木は南朝の忠臣楠木正成の妹である。この二人も宮中に仕える男女だったが恋仲となり、許されぬ恋のため、二人で手に手を取って駆け落ちする旅の途中だった。
吉川英治は私本太平記の中で、この語り合いを書き、「はしなく、この未然地獄を追放されて、好きな者同士で自由の野をさすらう境遇は、むしろめでたい青春ではあるまいか。兼好は片恋ゆえに、かようなすね法師となり申したが、お辺がたはお若いし、しかも恋の成就者だ。日陰者のすね夫婦などで朽ち終わってはなりますまい。ひとつ野に生きた生命で、野にいっぱいな楽園の花でも咲かせられては、どんなものか……」と兼好に言わせている。
恋の花を実らせた二人の愛子観阿弥は、少年時代、毎日のように国見山へ通い、兼好から古典文字の奥義を学んだという。その結果、数多くの謡曲がつくられ『能』という芸能文化に発展していった。
平成7年目次
173.街道いま、むかし 国見~高尾への道 平成7年1月号
174.青山高原 田代(たしろ)の今昔 平成7年2月号
175.福川地区の産土(うぶすな)神 八柱(やはしら)神社 平成7年3月号
176.二代目の阿保駅 近鉄・青山町駅の今昔 平成7年4月号
177.広域農道「千方(ちかた)橋」の完成 平成7年5月号
178.青山高原三角点 平成7年6月号
179.六郎別当(ろくろうべっとう) 平成7年7月号
180.近鉄・青山町駅付近 遺跡の発掘調査 平成7年8月号
181.兼好法師の恋ざんげ 平成7年9月号
182.勝地林道の今昔 平成7年10月号
183.諸木の産土(うぶすな)神 鹿島様 平成7年11月号
184.幻でなかった古塁砦の跡 平成7年12月号