絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

初代の阿保駅 近鉄・比土(ひど)駅の今昔

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初代の阿保駅 近鉄・比土(ひど)駅の今昔

平成6年12月号

 当町の表玄関は、今は青山町駅であるが、参宮急行電鉄(今の近鉄)が開通するまでは、伊賀線の比土駅であった。

 大正11年(1922)7月に、関西線の伊賀上野駅から名張(後の西名張)駅まで、伊賀鉄道が全通した。このとき、路線を阿保地内へ入れるよう強く要望したが、西の山が急坂のため列車が登れないとの理由で、やむを得ず神戸(かんべ)村の比土に駅を設置し、阿保駅と称したそうである。それまで上野へ行くのに乗り物としては、人力車か乗合馬車以外には無く、また小学校の修学旅行でも、朝暗いうちに伊賀上野駅まで歩いて乗車するなどの不便さだったので、これでも大変便利になった。

画像の説明

 駅は上野町=まち=(今の上野市)・名張に次いで大きく、駅長さんと多くの駅員さんがおり、構内やその付近には㋐という運送会社の大きな倉庫、食堂を兼ねた売店などが2軒、阿保行きと八知・霧生行きとの定期乗合自動車(乗用自動車)の車庫2棟があった。

 列車は小型の蒸気機関車が、小さな客車を4-5両、時々貨車を2両ほど増結して引き、毎時上下各1本の運行であったが、大正15年5月に電化され、電車1両で毎時各2本の運行になり便利さを増した。

 参宮急行電鉄が昭和5年10月に伊賀神戸駅まで11月に阿保駅まで開通して、路線名は同電鉄伊賀線、駅名は比土駅と改称され、乗降客も急減して、倉庫も車庫も売店もすべて無くなり、ついに無人駅になってしまったが、昔の盛況を思うと感慨無量である。




平成6年目次
161.種生天神社と小竹城跡 平成6年1月号
162.青山峠の今昔 平成6年2月号
163.霧生の灯籠はん 平成6年3月号
164.同所に三体三様の姿 羽根の庚申(こうしん)さん 平成6年4月号
165.街道いま、むかし 古田の笹峰峠 平成6年5月号
166.妙楽地の馬頭観音 平成6年6月号
167.行者山砦(とりで)跡 平成6年7月号
168.宝厳寺(ほうごんじ)裏山の霊場 二十一大師めぐり 平成6年8月号
169.街道いま、むかし 乃(野)木山(のぎやま)の道 平成6年9月号
170.熊野権現(ごんげん)奥の院さん 平成6年10月号
171.霧生高山林道の大日如来(だいにちにょらい) 平成6年11月号
172.初代の阿保駅 近鉄・比土(ひど)駅の今昔 平成6年12月号

目次平成7年

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