絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

堀抜水路と儀八翁

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堀抜水路と儀八翁

昭和58年7月号

 抜けるような青空が谷間まで広がり、銀色に輝く瓦の波と、ひと際濃い緑とが美しいコントラストを描き、この谷を縫うように1本の水路が東西に走っています。この水路(新井手)は約130年前、一人の男が4年の歳月と私財を投じて完成されたもので、堀抜儀八翁の業績を称える顕彰碑が霧生落合橋から200m古田よりにあります。

 その碑文によると、儀八翁は文政5年に誕生し、生まれつき優れ、豪男で決断力に富み、一家の柱となって働き、倹約につとめ、地区民の模範とたたえられていました。

堀抜水路でうるおう水田

 彼は、早くから農地開拓を計画し、その用水確保を霧生上出の井手の延長を考え、独力で起工し、たびたびの難関にもくじけず、4年の歳月と私財を投入し、2箇所のトンネルを含め、延長約2kmの水路を完成しました。以来開拓した新田と附近一帯の水田にも水を供給し、永年の旱魃(かんばつ)の苦しみを解消したため豊作の喜びを毎年味わう事ができました。

          堀抜水路でうるおう水田

 この業績が当事の藩主に聞え、お褒(ほ)めのお言葉と藩普請奉行より米50俵の賞与があり、彼は感激しこの米50俵を上野城下での貧民救済のために寄付したという。その後、苗字を許された際この事業にちなんで堀抜としました。

 この碑を前にして知るよしもない100年余前を思うとき感慨ふかいものがあります。台風のため何度となく水路に被害を受け、そのたびに補修・改良工事を重ね、堅牢な水路に生まれ変わっているが、これまで守りぬいた土地の人々の努力も大きい。水は一刻の休みもなく流れ20haの水田が今日も息づいています。




昭和58年目次
29.幻の重要文化財羽根亀井家大邸宅 昭和58年1月号
30.青山町の北に眠る城氏朝妻堡 昭和58年2月号
31.伊勢の堺、伊賀齋王堺屋の祭祀場跡 昭和58年3月号
32.霊験あらたか小河内の金毘羅さん 昭和58年4月号
33.歴史散策の小道 阿保頓宮跡から七つ塚へ 昭和58年5月号
34.村の生活を守る境目塚 昭和58年6月号
35.堀抜水路と儀八翁 昭和58年7月号
36.滝の熊野三所神社 昭和58年8月号
37.阿保から老川如来さん参りの近道 八鉢道の今昔 昭和58年9月号
38.兼好ゆかりの薬師寺跡 昭和58年10月号
39.諸木の子安地蔵 昭和58年11月号
40.寿福の神さま下川原の弁天さん 昭和58年12月号

目次昭和59年

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