絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

奉供養 勧進橋の碑

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奉供養 勧進橋の碑

平成3年10月号

 国道165号を東に向って中山トンネルをぬけるあたりを伊賀中山という。

 古来、吉備の中山(岡山県)小夜の中山(静岡県)とともに、日本三中山の一つといわれている。旧長田川は現在一級河川木津川の本流で、旧初瀬街道の中でも景勝の地であり、また川の難所でもあった。

 川幅はあまり広くないが、水量が多く淵の深みもあって川面に突出した石を飛び越えて渡った。江戸時代に入って参宮が盛んになり、特に末期(宝永・明和・文政の頃)には、おかげ参り、ぬけ参りなどと称して全国的な大参宮運動に発展したが、参宮道者たちは随分と難渋した。

画像の説明

 本居宣長が吉野紀行をしてから36年後の文化5年(1808年)に、街道を往き交うお伊勢参りの善男善女の勧進(寄進)によって、初めて板橋がかかった。

 この偉業を後世に伝えようと、里人たちが板橋の袂(たもと)に、「奉供養勧進橋」の記念碑を建てた。幕末の文久2年(1862年)越後国の小木留吉という人の書いた「道中日記」に、一人二文の通行料をとったことが記されている。修理費などにあてるためだったのだろう。瀬戸内海をまたぐ本・四連絡橋を思うと今昔の感を禁じえない。

 永年、川底に埋れていたのが、近年発見されて、中山橋の袂にひっそりと建っている。昭和47年に民族資料として青山町文化財に指定された。




平成3年目次
125.川上の地蔵堂と菩薩立像 平成3年1月号
126.八柱神社の巨岩 平成3年2月号
127.霧生中山の道 平成3年3月号
128.天正の伊賀乱をしのぶ 小鴨(こがも)氏城跡 平成3年4月号
129.珍しい高尾の石室・石仏地蔵 平成3年5月号
130.妙楽地の秋葉さん 平成3年6月号
131.町指定文化財 天照寺の石造五輪塔 平成3年7月号
132.全国でも数少ない蔵王権現の石像 平成3年8月号
133.戦後開拓の歴史を刻む老ヶ野・古田・青山道路 平成3年9月号
134.奉供養 勧進橋の碑 平成3年10月号
135.霧生の鹿島神社 平成3年11月号
136.6,7世紀の代表的な墓 羽根・峯台(みねだい)一号古墳 平成3年12月号

目次平成4年

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