絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

奥鹿野の菩提寺 保徳山久昌寺

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奥鹿野の菩提寺 保徳山久昌寺

平成8年5月号

画像の説明

 国道165号の伊勢路から分岐して、県道城立青山線のとがの峠を越すと奥鹿野の集落がひらける。昨年建てられた「圃場整備竣工記念碑」から左折して老杉の参道を200m登ると、曹洞宗の名刹、梅花観音八十八番の札所保徳山久昌寺である。

 御本尊は、釈迦如来さんで、天文4年(1535年)に、極楽寺(老川)ニ世明窓玄哲が、里のほぼ中央の高台に創祀した。裏山にある寺僧墓碑によると、寺僧の死や火災などで100年余断絶したとある。

 現在地に久昌寺を再興したのは、元禄の初め古岩宜道和尚であった。当時、伊賀国司北畠氏の臣であった川原田氏の子孫忠右衛門康昌が奥鹿野に住していた。五男があったが、その二男が古岩宜道で4人の兄弟と協力して土地を買い堂宇を建立した。古岩はまさしく久昌寺中興の祖である。

 裏山には、天狗岩の巨岩が祀られていて、元禄14年(1701年)の庚申供養塔がある。この碑には、“見ざる、言わざる、聞かざる”の可愛い3猿が刻まれている。

 中興の祖古岩宜道和尚は、里の入り口にあたる高台に堂宇を建て、裏山の天狗岩を祀って里人の安泰を祈ったことだろう。爾来約300余年の歳月が流れたが、美しく整備された寺庭に佇むと、檀信徒の祖先を尊ぶ厚い念いが偲ばれる。

 活郷教育を興した先賢の、愛郷の名残りである里一面の茶畑と寺庭の梅林が、村興しの歴史を物語っている。春のおそい山里は今、鶯がしきりである。




平成8年目次
185.笛吹の伝説と千方(ちかた)の四鬼窟(よつおにいわや) 平成8年1月号
186.山中半右ヱ門 本陣跡碑 平成8年2月号
187.最も代表的な古墳 羽根・狐塚古墳群 平成8年3月号
188.ロマンただよう桜峠の春 平成8年4月号
189.奥鹿野の菩提寺 保徳山久昌寺 平成8年5月号
190.霧生の鉱山跡 平成8年6月号
191.小さな磨崖仏(まがいぶつ)阿保の子安地蔵さん 平成8年7月号
192.老川の中世城館 若山氏城 平成8年8月号
193.権現谷の双つ渕(ふたつぶち) 平成8年9月号
194.腰山の峯道(みねみち) 平成8年10月号
195.朱の欄干と金色の擬宝珠 大村橋 平成8年11月号
196.矢生(やお)中学校の上高尾分校 平成8年12月号

目次平成9年

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