安保氏の屋敷跡か 桐ヶ谷城跡
安保氏の屋敷跡か 桐ヶ谷城跡
平成4年8月号
阿保西部の上ノ代団地から、山沿いに通じる学道路の、大田建築さん宅の前から「ひのき」林の中の急な山道を南へ少し登ると、桐ヶ谷城跡がある。
桐ヶ谷とは、阿保の字西ノ沢のうち、町に近い方から百々(どんど)池付近までの通称地名である。
東正面に雑木の茂る高い土塁が見え、一段下に約30m四方の平地(一部に小土塁)があり、その南隅に小さい石を高さ約50cmにコの字形に積み上げて囲い、三方に空堀のある20×30mの平地があって、用途はよく分からないが、武技の訓練や、種々の行事のための広場だったのではないかと思われる。
「三重の中世城館(昭和52・県教委編集)」によると、総規模は65×120m、本丸は高い土塁て四方を囲み、内部は一部崩れているが、25×23mの広さであったと思われ、周囲の空堀もよく残っているとされている。土塁の高さは、尾根の方で約5m、すその方で約10mほど、上部の幅は約4~8mで、入口は西(すそ)にあり、外側は完全に保存されている。
「三国地志」には「桐谷堡」と記載されているだけで、城主は判然としないし、天正の乱に関係した記録もないが、「北畠家臣録」に出て来る「阿保城主安保若狭守(わかさのかみ)」か、その一族の城(屋敷)跡だとの説がある。400年以上も昔の城が、ほとんど完全な姿で残っているのは、貴重な存在である。
平成4年目次
137.高尾の庵山(いおやま)と西方寺の跡 平成4年1月号
138.腰山の氏神 飛龍神社 平成4年2月号
139.善福寺 平成4年3月号
140.特別天然記念物オオサンショウウオ 平成4年4月号
141.珍しい観音寺の石の地蔵堂 平成4年5月号
142.「敬叟禅師産塚(けいそうぜんじうぶづか)」 平成4年6月号
143.腰山の愛宕講 平成4年7月号
144.安保氏の屋敷跡か 桐ヶ谷城跡 平成4年8月号
145.血首の井戸 平成4年9月号
146.青山地蔵 平成4年10月号
147.阿弥陀さまとお花畑 平成4年11月号
148.経済と生活に貢献した中部電力阿保発電所 平成4年12月号