絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

岡田の括り地蔵への参詣 世直し捕縛(しばられ)地蔵尊

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岡田の括り地蔵への参詣 世直し捕縛(しばられ)地蔵尊

昭和60年5月号

 青山町阿保から、国道165号線を上津方面に向うと、岡田のバス停より約100m、国道左側の山根に、白と赤2筋の荒縄で括り締め姿の地蔵さんが立っておられる。

 またの名、捕縛(しばられ)地蔵ともいわれ全国に存在するが青山町では唯一の地蔵である。

画像の説明

 地蔵菩薩は、普通左手で宝珠を、右手に錫杖(しゃくじょう)の僧形体が地蔵本来の姿であるが、江戸時代社会全体生活上の規範にしていましめの意味か、地蔵の姿に色々の役目を持たせて、人々の病難、苦難を信仰により、現世の幸福に導く仏僧の手段として、野や田圃の畔に配置したもので種類としては子安地蔵(安産子育ての佛)、かん虫地蔵(子どものかんを押さえる佛)、歯痛地蔵(歯いたを止める佛)、ほうそう地蔵(ほうそうを送り出す佛)、勝運地蔵(運を開く佛)、勝軍地蔵(軍の勝利の佛)、延命地蔵(命を守り延ばす佛)、いぼとり地蔵(いぼをとる佛)、とげ抜き地蔵(とげを抜きとる佛)等々、信仰の有難さを信ずる者は救われると地蔵佛に様々な、病難苦難をくっつけたのは、うらをかえせば、当事の病気や苦労にみちみちた人間社会の投影であろうか。

 私はこの多くの地蔵の中で、現在においても一番強く通用しているのは、この捕縛地蔵の御姿ではなかろうかと思う。

 不動心を持し身は縛られても多くの大衆を救おうと滅私無我の境地にあられるゆえんだ、が、今の青山町の政情の中にこのような生き仏がおられたらと・・・ 青山町域の地蔵尊で一番古いのは、北山一本松の旧笠置街道の比自岐境の道守の地蔵で応安6年(1373年)、また、子安地蔵は高尾出合地内の名張街道及び高尾の観音寺に各一体、延命地蔵は旧伊勢参宮街道伊勢宿場はずれ東の入口に一体があります。

 御利益にあずかって下さい。




昭和60年目次
53.五智如来と勝地の里ー北山辺りー 昭和60年1月号
54.南朝の要害・・・高尾の城跡 昭和60年2月号
55.椎の古木 昭和60年3月号
56.江戸時代の上野街道 かんじょう坂 昭和60年4月号
57.岡田の括り地蔵への参詣 世直し捕縛(しばられ)地蔵尊 昭和60年5月号
58.いまも生きる石の燈籠 平穏と安全を希求して 昭和60年6月号
59.県指定天然記念物クマガイソウ群落 昭和60年7月号
60.青山の語源になった阿保山の昔話 昭和60年8月号
61.生活に密着した青山の竹林 昭和60年9月号
62.古刹 上津山宝珠院 昭和60年10月号
63.福丸こっこ 昭和60年11月号
64.阿保地名考 昭和60年12月号

目次昭和61年

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