絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

旧村名 矢持村の今昔

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旧村名 矢持村の今昔

平成9年2月号

 県道29号線から老川を通る三交バス路線で伊賀東照宮前を過ぎると福川の集落に着く。ここから旧矢持村になる。福川バス停から左は奥鹿野へ通じ、右は諸木へ曲がりくねった道を約1km、大きな銀杏(ぎんなん)の木のある安楽寺の前を右の方にしばらく歩くと峠に出る。

 くだりの道の右側は荒々しい岩肌が草の間から顔を出し、左は杉と孟宗竹(もうそうちく)の林を通り抜けると腰山の集落が見える。この腰山地区には旧村名の付いた施設が沢山残っている。

画像の説明

 明治21年(1888)の町村制実施とともに矢持村として誕生したが、村名決定には紆余曲折があった。最初は霧生・腰山・諸木・福川を東村に、種生・高尾・老川・川上を西村にして、奥鹿野は上津村にとの案が出て、県庁に打診したところ、あまりにも平凡な村名だと意義があったので再審議の上、奥鹿野を入れて東村を矢持村と決定した。

 村名の由来は昔、矢を持った武士が徴兵に応じて集まって来たと伝えられていた。

 この地区の山地には矢に使った竹が現在でも見ることができる。特に中世に築かれたと思われる城館跡が数か所発見され、その周辺にもこのような竹を見ることができる。材質は細くて節は低く優しい竹で、主として戦場で使う矢としてなくてはならない武器であったところから矢持村になったと言う。

 小学校、郵便局、保育所、農協支所、霧生や腰山区内に建立されている記念碑、保育所前に架かる橋に、今もその矢持の地名をとどめている。




平成9年目次
197.奥鹿野の金比羅(こんぴら)さん 平成9年1月号
198.旧村名 矢持村の今昔 平成9年2月号
199.阿保の表玄関 通称・駅前通りの今昔 平成9年3月号
200.17年間書きつがれた 風土記懐古 平成9年4月号

目次昭和55年

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