歴史散策の小道 阿保頓宮跡から七つ塚へ
歴史散策の小道 阿保頓宮跡から七つ塚へ
昭和58年5月号
第十一代垂仁天皇の皇子、息速別命(いこはやわけのみこと)の御墓の向かい側、県道から東へ29段の石段を上りますと、すぐ右に四方に土塁をめぐらし、つばき、かしなどの大木に囲まれた平坦な草生地があり「史蹟阿保頓宮阯(とんぐうし)」と刻まれた石碑が建っています。
ここは天平12年(740)第45代聖武天皇が、藤原広嗣の乱を避けて、伊賀、伊勢を越えて行幸の際、一夜を明かされた仮の宮居の跡であり、その前後600年間も続いた齋王(さいおう)(天皇の名代として伊勢の神宮に使える皇女)の往復時の宿泊所の跡でもあり、又後に天正13年(1585)大和から伊賀へ入国した筒井定次の部下、岸田伯耆(ほうき)がこの地形を利用して築いた城跡でもあると伝えられています。なお土塁上の北西部と南東部の2カ所に嘉永6年(1853)に建立した息速別命外二神を祭る小祠もあります。

ここを出て小道を南へたどり、約150m程行くと桧林の中に入りますが、道正教会の奥の院として二百余体の竜神さんを祭ってある所が、昔から七つ塚と呼ばれている古墳群です。
息速別命の子孫の一族の墓と伝えられ、四世の孫須禰津斗王(すじつけのきみ)の墓といわれる最大のものを中心に、千数百年も前の七つの横穴式円墳が配置されています。
長い間の天災や盗掘で壊れているのが惜しまれますが、そのために石室の内部が眺められるものもあります。
ここから南へすぐ上ノ代住宅団地へ出られますので、一度前記の順路で歴史散策をされて、阿保発祥の頃から奈良、平安時代さらに戦国の世をしのばれてみてはいかがでしょうか。
昭和58年目次
29.幻の重要文化財羽根亀井家大邸宅 昭和58年1月号
30.青山町の北に眠る城氏朝妻堡 昭和58年2月号
31.伊勢の堺、伊賀齋王堺屋の祭祀場跡 昭和58年3月号
32.霊験あらたか小河内の金毘羅さん 昭和58年4月号
33.歴史散策の小道 阿保頓宮跡から七つ塚へ 昭和58年5月号
34.村の生活を守る境目塚 昭和58年6月号
35.堀抜水路と儀八翁 昭和58年7月号
36.滝の熊野三所神社 昭和58年8月号
37.阿保から老川如来さん参りの近道 八鉢道の今昔 昭和58年9月号
38.兼好ゆかりの薬師寺跡 昭和58年10月号
39.諸木の子安地蔵 昭和58年11月号
40.寿福の神さま下川原の弁天さん 昭和58年12月号