流されたご神体高尾の神明宮
流されたご神体高尾の神明宮
昭和57年10月号
台風10号は大きな被害を残して去りました。毎年やってくる台風、その自然の猛威は、古今変わることなく繰り返されてきました。
今から900年前の成徳2年(1093年)襲来した台風は伊賀に空前絶後の大洪水をもたらしたと伝えられ、町の奥地、高尾に大被害を与え、現在の三交バス終点にある生活改善センターの所にあった氏神「神明宮」の社殿、神域もろとも崩壊し、ご神体は濁流に飲まれ流失しました。
驚いた村人たちは八方手をつくしてご神体を探しましたが、発見することはできません。
神樋の中に納められていた御神体は濁流とともに流され、奇跡的に上野の木興の浅瀬に流木などに混じって打ち上げられていたところ、木興の村人たちによって発見され「湯に7度、水に7度」きよめられ、お堂を建て安置され「桶子の宮」と名付けて村人の崇敬を受けました。
一方氏神を失った上高尾の村人たちは5年後の康和5年(1098年)京都北野天神から分祀を受け、神域も一段高い山の上に移し「天満宮」としておまつりすることになりました。
このことは明和3年(1766年)高尾の庄屋甚右ヱ門が古伝の通り記すとして「天満宮由来記」に書き残し現在も伝えられ、伊賀の古文書「伊賀考」には「桶子宮、木興村ニアリ。是元城高尾の惣社ナリ、洪水ノ時流レ来リテ木興ノ村人是ヲ拾ヒ上ゲソノマヽノ名トナレリ」と記されています。
900年を経た現在、桶子神社には往時をしのぶ由緒を刻んだ碑が建ち、天満神社と兄弟社として氏子の交歓と崇敬を受けています。
昭和57年目次
19.元旦の初歩きコース尼ケ岳登山 昭和57年1月号
20.商売繁盛と福徳の神青山恵比寿 昭和57年2月号
21.近代的な装いを見せる矢持橋界隈 昭和57年3月号
22.老川の地に創建された伊賀東照宮 昭和57年4月号
23.水車の水も引いた宮の淵井堰 昭和57年6月号
24.力強く生きることを教える羽根不動院 昭和57年7月号
25.下川原の恩人前川の祐年(ゆうねん)さん 昭和57年9月号
26.流されたご神体高尾の神明宮 昭和57年10月号
27.昔ながらの神事を続ける阿保東部大当講 昭和57年11月号
28.伊賀と伊勢を結ぶ『しおないの道』 昭和57年12月号