絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

生活に密着した青山の竹林

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生活に密着した青山の竹林

昭和60年9月号

 種生、国見山に隠栖(いんせい)したと伝えられる兼好法師が、

     風そよぐ竹の葉山の秋の月
       のどかにすまぬ世こそ知るけれ

と詠んだ「竹の葉山」をはじめ、戦国時代には「矢竹」を多く出したところとしてとくに種生、矢持は良質な竹の産地として知られました。

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 江戸時代には「竹運上」として藩の「現物税収」となり、上野藩だけでも年三千束以上が徴集され、城内で千束が作事用に使われ、残り二千束が売払われたという記録が残されています。
民家の周辺には竹が植えられ、小竹、大竹、竹矢、竹用などの家名が多く残っており、竹の濫伐を監視する「藪廻り無足人」も置かれたほどでした。

 竹は地下茎によって、大地に根を拡げ、風雨や地震に強く、民家の周辺に植えられ防災の役目を果し、筍は食用となり1年で大きく成長し軽くて強く、家屋の補修や農作業に使われ、箸から団扇など竹工品まで、私たちの生活に密着してきました。

 戦後の生活様式と化学製品により竹の用途は狭くなってはいますが、現在町内の竹林は80町歩(ヘクタール)もあり、真珠の筏や竹細工用として見直され、活用されていくことでしょう。




昭和60年目次
53.五智如来と勝地の里ー北山辺りー 昭和60年1月号
54.南朝の要害・・・高尾の城跡 昭和60年2月号
55.椎の古木 昭和60年3月号
56.江戸時代の上野街道 かんじょう坂 昭和60年4月号
57.岡田の括り地蔵への参詣 世直し捕縛(しばられ)地蔵尊 昭和60年5月号
58.いまも生きる石の燈籠 平穏と安全を希求して 昭和60年6月号
59.県指定天然記念物クマガイソウ群落 昭和60年7月号
60.青山の語源になった阿保山の昔話 昭和60年8月号
61.生活に密着した青山の竹林 昭和60年9月号
62.古刹 上津山宝珠院 昭和60年10月号
63.福丸こっこ 昭和60年11月号
64.阿保地名考 昭和60年12月号

目次昭和61年

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