町内で最も古いといわれる寺脇の宝厳寺(ほうごんじ)
町内で最も古いといわれる寺脇の宝厳寺(ほうごんじ)
昭和59年1月号
青山町の東北方、寺脇の裏山の中腹、緑の山ふところに抱かれた高台にある大きなお寺が、青山町内で最も古いといわれ、伊賀四国八十八カ所第二十二番(三重四国第四十一番)霊場としてお遍路さんでにぎわう、真言律宗(真言宗西大寺派ともいう)「宇霧須山(うむすざん)・宝厳寺」です。
創建は、承和5年(838)とも、文永4年(1276)とも伝えられていますが、正和3年(1314、鎌倉時代末)には「地蔵堂」といわれて存在したことが確かなようです。天正9年(1581)の兵火にかかるまでは、黒田寺など6つの子院が、この1つで今別府(べふ)にある「来迎寺」まで続いたと伝えられ、当時の壮大さが想像されますが、焼失したのは大変残念です。天正18年(1590)には再建され、現在の本堂は、天保年間(約150年前)の改築で、このほど大屋根の葺き替え大修理が完成しました。
ご本尊は秘仏で、拝することはできませんが、文化財収蔵庫(観音堂)内の国の重要文化財である「十一面観音立像」や、町指定文化財の「磐(けい)」(お勤めのときに鳴らす仏具)は、住職さんにお願いすれば拝観できます。この観音さんの像は、もと「禅定寺(ぜんじょうじ)」(阿保、大村神社の今駐車場になっている場所にあった同神社の宮坊。虫喰鐘はこのお寺のものでした)のご本尊であったのを、明治3年に廃止されたとき、宝厳寺に迎えられたものです。
参道、境内、墓地、裏山などに町指定文化財の南北朝、室町時代(1350~1561)の五輪石塔や、地蔵さん、観音さん、十三仏などの石仏がたくさん安置されていることは、このお寺の古さや、昔の地蔵信仰の中心的存在であったことがしのばれます。
昭和59年目次
41.町内で最も古いといわれる寺脇の宝厳寺(ほうごんじ) 昭和59年1月号
42.巨岩に刻まれた高尾鈴又の不動明王 昭和59年2月号
43.じもとではかんじょうしの霧生城址 昭和59年3月
44.別府の十王石仏 昭和59年4月号
45.葛原氏・滝野氏の祖先 昭和59年5月号
46.古代のルートをしめす老川如来への道分地蔵 昭和59年6月号
47.とんがり嶽の地蔵さま 昭和59年7月号
48.大昔の古戦場 伊賀の青墓 昭和59年8月号
49.敬叟(けいそう)禅師産塚をたずねて 昭和59年9月号
50.火伏、鎮火の神 秋葉さんと愛宕さん 昭和59年10月号
51.腰山の阿弥陀さん 昭和59年11月号
52.神風の昔がしのばれる柏尾の懸仏(かけぼとけ) 昭和59年12月
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