矢生(やお)中学校の上高尾分校
矢生(やお)中学校の上高尾分校
平成8年12月号
戦後の昭和22年3月、それまでの国民学校(初等科6年、高等科2年)を改め、小学校6年、中学校3年を義務教育とする新しい法律が公布された。六三制といわれるもので、新制の中学校は翌月の4月に産声(うぶごえ)をあげた。
当時の阿保町と上津村は、学校組合立の『青山中学校』を、種生村と矢持村は『矢生中学校』を設立したが、急なことなので校舎の新築はできず、それぞれの小学校に間借りして授業を行った。昭和26年矢生中学の校舎が、種生地内に建てられたが、その位置では、上高尾から通学するのに遠くて困難と、分校が設置されることになった。

上高尾区では、天神橋近くの木炭倉庫を取り壊して学校用地を確保した。鈴森与一郎氏が建築用材のすべてを寄付され、全区民の労力法奉仕によって、27年2月1日に分校の校舎は立派に完成した。
この分校には、二人の先生が配置され、教科によっては、本校の先生が来校して授業を行っていた。昭和29年から35年まで分校主任をされた種生の奥谷了正氏の話によると、最盛期には30人ほどの生徒がいたが、進学に備えて3年生が本校に通うようになり、地区の生徒数もだんだん減ってきたので、昭和36年3月廃校になったということである。
その後校舎は、上高尾公民館、保育所、縫製工場などに転用され、一部は2階建てとして、地区のコミュニティセンターに活用されている。
平成8年目次
185.笛吹の伝説と千方(ちかた)の四鬼窟(よつおにいわや) 平成8年1月号
186.山中半右ヱ門 本陣跡碑 平成8年2月号
187.最も代表的な古墳 羽根・狐塚古墳群 平成8年3月号
188.ロマンただよう桜峠の春 平成8年4月号
189.奥鹿野の菩提寺 保徳山久昌寺 平成8年5月号
190.霧生の鉱山跡 平成8年6月号
191.小さな磨崖仏(まがいぶつ)阿保の子安地蔵さん 平成8年7月号
192.老川の中世城館 若山氏城 平成8年8月号
193.権現谷の双つ渕(ふたつぶち) 平成8年9月号
194.腰山の峯道(みねみち) 平成8年10月号
195.朱の欄干と金色の擬宝珠 大村橋 平成8年11月号
196.矢生(やお)中学校の上高尾分校 平成8年12月号