絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

磨崖仏だった岩鼻(いわっぱな)地蔵

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磨崖仏だった岩鼻(いわっぱな)地蔵

昭和62年5月号

 青山町の高尾から美杉村に抜ける「青山美杉線」は部分改良が進み、幹線として機能を果たしていますが、この路線は明治42年に開通したものです。それまでは川を越え、谷を渡る難路であったことは高尾小学校正門脇の「道路改良の碑」に克明に刻まれています。

 とくに原池の黒渕橋から酒屋までの間は、現在の路線の対岸にあって今も旧道の面影を留めていますが岩盤を切り開いた難路で、「岩鼻(いわっぱな)(端)」といわれ、室生火山帯の柱状摂理の岩石が連なり道を開くことができず、深瀬川を渡って対岸にたどりつくという「岩鼻の渡し」として、岩を伝って「とび越え」を渡る難所として恐れられていたと伝えられています。

 豪雨で増水した時は、「川止め」となって交通が途絶したようです。

画像の説明

 この「岩鼻」の渡しの手前の巨岩に、江戸中期に掘られた「磨崖仏」がありました。錫杖(しゃくじょう)を手に持ち柔和な姿をたたえた高さ1m余りの石仏は近くの民家に寄宿していた修業僧が悪疫の根絶と難所の安全を祈って刻んだ、と伝えられています。

 この磨崖仏は「歯痛、頭痛」によく効くといわれ、難所の渡しを往く人々の安全を見守って来ました。

 昭和初年ごろ、この磨崖仏の巨岩は、石材として切削され、高さ1m余の石仏地蔵となって旧道端に降され現在に至っています。
いま対岸には巾13mの新道が完成し、すっかり遺物となった「岩鼻地蔵」や「渡しの飛び石」や古い「橋台」が苦難の面影を残しています。




昭和62年目次
77.いまも残る老川如来への道 昭和62年1月号
78.青山のお大師さん 昭和62年2月号
79.江戸時代から伝わる諸木のドンド 昭和62年3月号
80.江戸時代初期の一里塚 千塚さん 昭和62年4月号
81.磨崖仏だった岩鼻(いわっぱな)地蔵 昭和62年5月号
82.瀧の権現さん 昭和62年6月号
83.社日(しゃにち)さん 昭和62年7月号
84.神宮崇敬の象徴参宮街道筋の石造常夜灯 昭和62年8月号
85.珍しい石造りの牛頭天王の社 昭和62年9月号
86.奥山権現 昭和62年10月号
87.羽柴砦 昭和62年11月号
88.町内で最も古い石塔 岡本家の十三重塔 昭和62年12月号

目次昭和63年

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