絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

郷士・福森氏宅址(たくし) 福森氏城跡

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郷士・福森氏宅址(たくし) 福森氏城跡

平成5年12月号

 阿保東部の東法花寺(ほっけじ)団地の東の字福森地内の、俗称「おかばさん」という丘陵があり、尾根の中ほどに、西側を入口にして、四方を土塁で囲んだ城跡がある。

 土塁は、西側(入口の両側)と東側(奥の方)がほぼ完全に残り、南と北側の各約半分は崩れている。高さは西側6m、東側5mで、上部の幅は西南側9m、東側3mであるが、西北側は20×10mほどで広く、見張台だったようである。

画像の説明

 東側の外には幅1m、深さ2mの空堀(からぼり)が完全に残り、内部は25×25mほどの広場であったと思われる。その後、南と北側の土塁を崩した土を利用して、数枚の畑を造成してあり、低い石積みや浅い、溝があるが、現在は荒地となり、土塁と共に雑木や竹が生えている。

 「三重の中世城館(昭52・県教委編集)」には、城全体の規模は65×70mであり、「伊乱記(菊岡如幻=じょげん=が江戸時代の延宝7年=1679=頃に書いた天正伊賀の乱の物語)」には天正7年(1579)の第一次の乱に寺脇の宝厳寺によった別府村の福森、同9年の第二次の乱に、北畠信雄(のぶかつ)(織田信長の二男)の本隊に立ち向った別府村の福森嘉平治の名が見えるので、この福森氏の城跡(「三国地志」の「福森氏宅址」)であろうと記されている。
 
 町並の目と鼻の先に、小規模ながら四百数十年前の古い城跡が今も残っているのは、大へん貴重である。




平成5年目次
149.古い歴史を伝える老川・若宮神社 平成5年1月号
150.上津山・宝珠院 平成5年2月号
151.山の神さん 平成5年3月号
152.神と仏と古墳が共存するお稲荷さんの丘 平成5年4月号
153.再納の由緒を伝える極楽寺の鰐口(わにぐち) 平成5年5月号
154.比々岐の森 平成5年6月号
155.堀抜氏頌功(しょうこう)碑 平成5年7月号
156.初瀬街道の難所 八町坂改修紀功碑 平成5年8月号
157.田舎暮しの拠点・守口憩の郷 平成5年9月号
158.朝日山 喜福寺 平成5年10月号
159.野田のお不動さん 平成5年11月号
160.郷士・福森氏宅址(たくし) 福森氏城跡 平成5年12月号

目次平成6年

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