阿保の表玄関 通称・駅前通りの今昔
阿保の表玄関 通称・駅前通りの今昔
平成9年3月号
阿保の表玄関である通称・駅前通りとは、青山町駅から阿保橋を経て、青山郵便局前の十字路まで約360mの町並みをいう場合が多い。
阿保橋は、大正の初期には黒塗りの木橋で、大正12年(1923)に白塗りの木橋に、昭和21年(1946)に応急的な無塗装の木橋に、阿保の町を東西に貫通する県道が国道に昇格した直後の同32年(1957)に現在の鉄筋コンクリート橋(延長54.21m、幅員5.50m)に架け替えられた。
阿保橋の北側は、橋より上流の片側の家並み(通称・川向い)以外は一面に田んぼや桑畑で家屋は何も無かった。昭和5年(1930)に参急(現近鉄)の開通と同時に、阿保駅(現青山町駅)から阿保橋までの県道が開通した。
北側で最初から家屋は駅舎と構内の売店だけで、間もなく阿保町農会(農協の前身)の米保管倉庫、次いで石屋・うどん屋さんや住宅・乳製品工場・木工場・製材所などが建ち、戦後は中学校の開校もあって、急速に商家や住宅が建ち並び、町の姿を整えた。
阿保橋の南側の道路は現在の町道であるが、江戸時代後期(200余年前)には町並みが完成したようで、戦前には阿保宿(じゅく)の面影を残し、現在の商家のほか、呉服・雑貨・菓子・料理屋さんなどもあった。
駅前通りは、町役場に近く、最近は農協・Aコープ・銀行・郵便局が集中し、人や車の往来も急増して町の中心的な様相を呈してきた。
平成9年目次
197.奥鹿野の金比羅(こんぴら)さん 平成9年1月号
198.旧村名 矢持村の今昔 平成9年2月号
199.阿保の表玄関 通称・駅前通りの今昔 平成9年3月号
200.17年間書きつがれた 風土記懐古 平成9年4月号