霊験あらたかな奥山大権現参道の丁石
霊験あらたかな奥山大権現参道の丁石
昭和55年8月号
勝地林道を5キロほどさかのぼると、深山幽谷に果てに奥山愛宕神社の社殿が見えてくる。この神社は通称「権現さん」の名で崇拝され、伊賀、伊勢の近在はもとより、奈良・大阪・兵庫・京都の各府県にまたがり多くの信者を持っている。祭神は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)という防火の神さまで、江戸のはじめ頃からこの地でまつられたといわれるが、最近は、入学祈願、交通安全のお祈りが多くなったようである。
戦時中は敵の弾(たま)に当たることなく無事に我が家に帰れるように祈る「武運長久」の神として信仰を集めていた。出征を前にした兵士は、親族やくみの人たちと共に必ず参拝したもので、あの長い参道を神の加護を念じながら歩いた思い出をお持ちの方も多いはず。昭和30年代に林道として改修され、自動車の通行が可能となったが、それ以前は全くの歩きであった。

そこで長い道のりを歩く参詣者たちの便宜をはかるため、一丁(約100m)ごとに道案内の標識が建てられていた。これが丁石とよばれるもので、林道入口の道端に「奥山大権現是より五十一丁」と神社までの距離を示した五十一丁石がある。三十六丁石、三十三丁石などは明治7年建立の立派なものが残っているが、その他の大半は道路改修などで失われてしまった。
また、下川原地内には「是より一里二十三丁」と刻まれた大きな丁石がある。この丁石は、初瀬街道から分岐する参道を示した道標
で、勝地の丁石と合わせ、民俗信仰の 下川原地内の権現道道標
道を知る貴重な文化財といえる。
昭和55年目次
1.2000年のロマンを秘めた柏尾銅鐸 昭和55年7月号
2.霊験あらたかな奥山大権現参道の丁石 昭和55年8月号
3.地震除けの神さま要(かなめ)石 昭和55年9月号
4.日本三体といわれる老川如来 昭和55年10月号
5.〝徒然草〟はここで書かれた種生国見山 昭和55年11月号
6.むかし開拓いまゴルフ メナード青山カントリー 昭和55年12月号