霧生の灯籠はん
霧生の灯籠はん
平成6年3月号
霧生の増田製材所の前に大きな石の灯籠が立っている。周囲に作業場などがあるのと灯籠の火袋のあたりまで蔦がついて気付きにくい。
竿石の正面に「太一」左は「常夜燈」右は「村中安全」後は「文化七年庚午九月吉日」(1810年)と刻んである。
灯籠は元来仏前に供える灯明台として造られたのが始まりで、時代が新しくなるにしたがっていろいろな形や場所に見られるようになり、江戸時代になって常夜燈もたくさん造立し、神社や参道の入り口などに置かれ、一般の人々から親しまれる石造物となった。
竿石に刻まれた「太一」の銘文は一般に「たいち」と読むことが多いが、これは「だいいち」と読み、ある書物には「太一は天下の最貴者天神の元神というに帰す伊勢の太神宮は天神地祇の元首絶対無比唯一であるからこの太一という文字を使用したものと考えられる」とある。
このように「太一」の銘文はそのまま太神宮と読み氏子中で力を合せ、集落の入り口や村の辻に建立し、毎夜灯火を献じて大いなる神に村の守護を祈った。それが太神宮信仰と結びつき各地に「太一」の常夜燈奉献となり道標的役割や集落の入口のしるしにもなったと思われる。
当町に古くから伝えられている伊勢神宮への参宮道は三線、その一つがこの霧生を通る道である。この常夜燈も江戸時代から大変愛されたようで今でも霧生では「灯籠はん」の名で親しまれている。
平成6年目次
161.種生天神社と小竹城跡 平成6年1月号
162.青山峠の今昔 平成6年2月号
163.霧生の灯籠はん 平成6年3月号
164.同所に三体三様の姿 羽根の庚申(こうしん)さん 平成6年4月号
165.街道いま、むかし 古田の笹峰峠 平成6年5月号
166.妙楽地の馬頭観音 平成6年6月号
167.行者山砦(とりで)跡 平成6年7月号
168.宝厳寺(ほうごんじ)裏山の霊場 二十一大師めぐり 平成6年8月号
169.街道いま、むかし 乃(野)木山(のぎやま)の道 平成6年9月号
170.熊野権現(ごんげん)奥の院さん 平成6年10月号
171.霧生高山林道の大日如来(だいにちにょらい) 平成6年11月号
172.初代の阿保駅 近鉄・比土(ひど)駅の今昔 平成6年12月号