絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

霧生中山の道

文字サイズ:

霧生中山の道

平成3年3月号

 霧生中山の道は、霧生上出の生活改善センターからメナード青山カントリークラブの横を白山町福田山に至る道で、昭和11年に竣工した。当時は林道として開通したが、のちに県道に昇格、今の県道松阪青山線の一部である。

画像の説明

 昔は地形にあわせて右に左に、登ったり下ったりの曲がりくねった道で、刈った草二束を牛の背に乗せて通るのがやっとの狭い道だった。戦国時代には伊勢国司北畠氏が多気の霧山城から伊賀郷土衆との連絡用の重要道として大いに利用したと思われるが江戸時代から明治・大正と昔のままだった。

 昭和のはじめに訪れた不況の嵐は、町といわず山村の奥まで吹き荒れ、農林業や養蜂も極度の不況に。政府は農村救済事業として各種土木事業を計画し、不況による余剰労力の吸収と農家の現金収入の道を講じた。その一つとしてこの林道事業があった。このような時期であったので、地元でたくさんの人が人夫として協力したという。

 「伊賀と伊勢を結ぶ交通産業上の重要路線として開通を希望する事久しく、この度の農村振興事業として工事を起こした。この林道は運輸交通の便を開き地方文化、産業の発展に貢献することは非常に大きい…云々」と当時の状況を詳しく刻んだ開鑿(かいさく)記念碑が霧生上出の生活改善センター前に建っている。




平成3年目次
125.川上の地蔵堂と菩薩立像 平成3年1月号
126.八柱神社の巨岩 平成3年2月号
127.霧生中山の道 平成3年3月号
128.天正の伊賀乱をしのぶ 小鴨(こがも)氏城跡 平成3年4月号
129.珍しい高尾の石室・石仏地蔵 平成3年5月号
130.妙楽地の秋葉さん 平成3年6月号
131.町指定文化財 天照寺の石造五輪塔 平成3年7月号
132.全国でも数少ない蔵王権現の石像 平成3年8月号
133.戦後開拓の歴史を刻む老ヶ野・古田・青山道路 平成3年9月号
134.奉供養 勧進橋の碑 平成3年10月号
135.霧生の鹿島神社 平成3年11月号
136.6,7世紀の代表的な墓 羽根・峯台(みねだい)一号古墳 平成3年12月号

目次平成4年

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional