絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

奥鹿野の金比羅(こんぴら)さん

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奥鹿野の金比羅(こんぴら)さん

平成9年1月号

画像の説明

 県道城立青山線の奥鹿野公民館横の中橋を渡って、右に分岐する町道種生奥鹿野線の急勾配を約100m登ると、右が「こんぴら山」である。

 つづら折りの参道を約150m登ると、頂上に「奥鹿野金比羅さん」が祀られている。里輪(さとわ)を見下ろす高台に、峠道の守護神として、文政年間(約180年前)に創祀(そうし)された。

 下を通る「ちばら峠」の道は、旧矢持村当時、奥鹿野から福川、諸木を経て腰山へ通ずる主要路線であった。旧矢持村の丸之内に相当する腰山には、役場・学校・郵便局・信用組合・駐在所等があって、政治、経済、産業の中心であった。この峠道の安全を祈って、里人等が金比羅さんをお祭りしたのである。

 昭和41年に、高松宮宣仁(のぶひと)親王殿下がおいでになり、この金比羅さんに登られてご休憩され、当時の矢持村長関田義臣氏から活郷(かつごう=村おこし)の説明をお聞きになった。同年、活郷組合が、御成(おなり)を記念して境内へ自然石の大きな記念碑を建立した。三重県知事富田愛次郎揮毫による『高松宮宣仁親王殿下御野立所』の碑文である。近鉄伊賀上津駅で下車された殿下を、村内の児童が日の丸の小旗を持って奉迎申し上げた記憶がよみがえる。

 ちばら峠から福川、諸木あたりは、以前山の芋(自然薯=じねんじょ)の宝庫であったが、林相の変化で現在ではすっかり少なくなった。

 金比羅へ登る苔むした参道は、紅葉が散り敷いて峰をわたる松籟(しょうらい)がしきりである。




平成9年目次
197.奥鹿野の金比羅(こんぴら)さん 平成9年1月号
198.旧村名 矢持村の今昔 平成9年2月号
199.阿保の表玄関 通称・駅前通りの今昔 平成9年3月号
200.17年間書きつがれた 風土記懐古 平成9年4月号

目次昭和55年

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