17年間書きつがれた 風土記懐古
17年間書きつがれた 風土記懐古
平成9年4月号
光陰矢の如し、といわれますが、あおやま風土記が、町広報に掲載されるようになってから、17年の歳月が流れてしまいました。
第1回は、昭和55年の7月号で、青山町2000年の歴史ロマンを秘めた、柏尾銅鐸のことを書きました。
当初は役場職員だった私が一人で担当し、奥山権現、要石、老川如来など、町内の遺跡、社寺、風物を連載していました。57年の9月号からは、阿保、上津、種生、矢持の旧町村別に順序を決めて、それぞれ地区の文化財専門委員さんなどに執筆を依頼して今日に至りました。
そして今月が200回、この回をもって風土記は一応きりをつけるということになりましたが、その最終回の担当になり、感慨ひとしおのものがあります。
最終回にあたり、執筆者の方々に改めて厚くお礼申し上げます。なお長年ご愛顧くださいました町民の皆さまにも、深く感謝申し上げます。
1号当時の青山町人口は7,694人、200号では12,215人となりました。今後益々発展することを祈念して筆を置きます。
平成9年目次
197.奥鹿野の金比羅(こんぴら)さん 平成9年1月号
198.旧村名 矢持村の今昔 平成9年2月号
199.阿保の表玄関 通称・駅前通りの今昔 平成9年3月号
200.17年間書きつがれた 風土記懐古 平成9年4月号