天正の伊賀乱をしのぶ 小鴨(おがも)氏城跡
天正の伊賀乱をしのぶ 小鴨(おがも)氏城跡
平成3年4月号
岡田の共同墓地の東側を左に折れて、右へ約200m登ると、山道は堤のように土を盛った6,70年生の「ひのき」林の中に通じる。ここが「三国地志」にある「小鴨堡(城)」跡であって、岡田に現住される小鴨家のご先祖の土豪・小鴨兵衛(ひょうえ)が天正の頃(約400余年前)織田信長の伊賀侵攻に備えて築いた「とりで」だと言い伝えられている。

「三重の中世城館(県教委編集)」には、西に14×20mの平地があり、堀切をはさんで東に20×15mの櫓台(やぐらだい)のような部分や穴蔵のような凹地がある。この東に本丸の17m四方の平地があって、土塁がとりまき、さらに東に空堀があるなどと解説されている。
天正9年(1581)9月の第二次天正の乱には、乱入した織田勢の大軍を相手に、死力を尽くして防戦されたことであろうが、その詳しいことは分からない。
織田勢は残ぎゃく極まる焦土作戦で、神社仏閣をすべて焼き払い、多くの老若男女を殺害し、一週間ほどで伊賀全土をじゅうりんした。しかし、その6年後には早くも大村神社の本殿(現在重要文化財・宝殿)が再建されているのを見ても、当町の祖先のたくましい復興力がうかがわれる。
この城は小じんまりしとしているが、保存もよく、里にも近く、見学にも便利なので、大切に維持していただきたいものである。
平成3年目次
125.川上の地蔵堂と菩薩立像 平成3年1月号
126.八柱神社の巨岩 平成3年2月号
127.霧生中山の道 平成3年3月号
128.天正の伊賀乱をしのぶ 小鴨(こがも)氏城跡 平成3年4月号
129.珍しい高尾の石室・石仏地蔵 平成3年5月号
130.妙楽地の秋葉さん 平成3年6月号
131.町指定文化財 天照寺の石造五輪塔 平成3年7月号
132.全国でも数少ない蔵王権現の石像 平成3年8月号
133.戦後開拓の歴史を刻む老ヶ野・古田・青山道路 平成3年9月号
134.奉供養 勧進橋の碑 平成3年10月号
135.霧生の鹿島神社 平成3年11月号
136.6,7世紀の代表的な墓 羽根・峯台(みねだい)一号古墳 平成3年12月号