2000年のロマンを秘めた柏尾銅鐸
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2000年のロマンを秘めた柏尾銅鐸
昭和55年7月号
風土記とは、奈良時代につくられた地誌で、諸国の地形、生活状況、産物、伝承などが記載されている。いま完全な姿で保存されているのは『出雲国風土記』だけで伊賀国風土記などは、残念ながらその断片すらとどめていない。
新しく筆をおこす『あおやま風土記』は、町の古事を見直し、今後の町づくりに役立たせようとするもので、トップに柏尾銅鐸を登場させてみた。青山町の歴史を語るとき、柏尾銅鐸はどうしても欠かせない花形だからである。
大正7年、柏尾の山中で田ぶしん中の農民が、偶然に発見したといわれるこの銅鐸は、けさたすきもんどうたくと呼ばれる大形のもので、総高は107.2cm、上部と左右に渦巻きの飾りが三対、両側のヒレの部分にも半渦まき飾が3段ついているのが特徴になっている。

銅鐸は、約2000年前の弥生時代の青銅器(胴と錫の合金)という以外は、何に使われたのかどうして作ったのか、なぜ古代の遺跡でない山腹に埋められていたのかなど、すべてが謎に包まれた不思議な遺物で、伊賀での出土は4個(現存は柏尾のみ)全国でも300あまりという貴重品でもある。
つり鐘を押しつぶしたような形をしていることから、古代の農耕に関連した祭りに鳴らされたもの(祭器)だという説もあり、そうだと思えば、この柏尾銅鐸を囲んで青山の先住民たちが神に祈り、飲み歌い踊り、恋をささやいた古代のまつりが目に浮んでくる。あおやまは、2000年もの昔から栄えた町であった。 東京国立博物館蔵
昭和55年目次
1.2000年のロマンを秘めた柏尾銅鐸 昭和55年7月号
2.霊験あらたかな奥山大権現参道の丁石 昭和55年8月号
3.地震除けの神さま要(かなめ)石 昭和55年9月号
4.日本三体といわれる老川如来 昭和55年10月号
5.〝徒然草〟はここで書かれた種生国見山 昭和55年11月号
6.むかし開拓いまゴルフ メナード青山カントリー 昭和55年12月号