いまも残る老川如来への道
いまも残る老川如来への道
昭和62年1月号
日本三体如来の一という秘佛を祀る老川の極楽寺は鎌倉時代の創建といわれ、近郷はもとより遠方から、霊験を求めて「如来さん詣り」として賑わったと伝えられている。
従走で親しい人々と「道しるべ」をたよりに険しい山坂をこえて参詣したのであろうか。その足跡は今も残る石の道標によって確かめることができる。
だれでも目につくのは阿保西町の種生矢持道の分岐点脇の「一光三尊如来道」でこれより四十丁とあり、左側に「兼好法師塚四十六丁」とある、建立の年代は刻まれていない。
老川バス停入口の道標は「日本三体如来、左老川如来道」とあり、裏には「弘化5年(1848年)山崎甚蔵、重藤儀佐エ門、布袋屋、鍋屋」など阿保の商家による寄進の由緒が刻まれており、如来さんの入口にふさわしく堂々と建っている。
青山中学校入口の「道分地蔵」の左肩には「左老川如来道・・・嶋ケ原村米屋清兵衛」とあって年代は不明であるが、江戸中期のものと思われる。これは阿保から老川への旧街道で、新しい「町道桐ヶ丘―老川線」は昔の如来道に沿ったものと解すべきであろう。
妙来道は町内だけではない。名張市滝之原高座峠近くの三叉路には「右たかを左老川如来道、弘化三年五月」と刻まれた大きな道標が残されている。名張、大和方面からの参詣する人々の「道しるべ」であったと考えられる。
こうした道標をたどっていけば、如来信仰の厚さと賑わった街道の姿が想像できて楽しい。
昭和62年目次
77.いまも残る老川如来への道 昭和62年1月号
78.青山のお大師さん 昭和62年2月号
79.江戸時代から伝わる諸木のドンド 昭和62年3月号
80.江戸時代初期の一里塚 千塚さん 昭和62年4月号
81.磨崖仏だった岩鼻(いわっぱな)地蔵 昭和62年5月号
82.瀧の権現さん 昭和62年6月号
83.社日(しゃにち)さん 昭和62年7月号
84.神宮崇敬の象徴参宮街道筋の石造常夜灯 昭和62年8月号
85.珍しい石造りの牛頭天王の社 昭和62年9月号
86.奥山権現 昭和62年10月号
87.羽柴砦 昭和62年11月号
88.町内で最も古い石塔 岡本家の十三重塔 昭和62年12月号