羽柴砦
羽柴砦
昭和62年11月号
奥鹿野公民館から青山峠に通じる道を、約200m登った右手の山腹「カリユ」と呼ばれている所に、この砦跡がある。「矢持のむかし」によると、天正伊賀の乱後、天正13年(1585年)に豊臣秀吉の命を受け、侍従の職名と羽柴姓を与えられた筒井定次が、大和郡山城から上野へ移封し、慶長年間までの在国中に築いたものと云われる。
当地の古老の話は奥鹿野付近は、殿様の猟場で猪や鹿を追うためこの砦に来て泊まったとか。奥鹿野村民が筒井氏に徴発されて、丹波篠山城造築工事に使役されたと記されているが、この羽柴氏とは滝川三郎兵衛のことで、豊臣秀吉が織田信雄対策から家臣の滝川氏を味方に引き入れ、羽柴下総守の称号を与えている。また、「三国地誌」編集の頃には、滝川氏を羽柴氏と呼び『羽柴砦』と記載したのが、この砦である。
その内部は、7m四方の土塁で、一段下がった所に30m×10mの切込平地を持つ見張りの砦に造築されたもののようである。
二度にわたる伊賀攻めのため、伊賀全域の城や砦には敵味方入り乱れて戦い、この砦も奥鹿野地区の戦場の中心であったようで、織田方の滝川三郎兵衛に占領されたものと思われる。伊賀平定後しばらくは、滝川氏の戦略上の場として使い、秀吉の全国平定後は、砦の必要性もなく荒れるにまかせ、現在は僅かにその姿を残すのみである。
昭和62年目次
77.いまも残る老川如来への道 昭和62年1月号
78.青山のお大師さん 昭和62年2月号
79.江戸時代から伝わる諸木のドンド 昭和62年3月号
80.江戸時代初期の一里塚 千塚さん 昭和62年4月号
81.磨崖仏だった岩鼻(いわっぱな)地蔵 昭和62年5月号
82.瀧の権現さん 昭和62年6月号
83.社日(しゃにち)さん 昭和62年7月号
84.神宮崇敬の象徴参宮街道筋の石造常夜灯 昭和62年8月号
85.珍しい石造りの牛頭天王の社 昭和62年9月号
86.奥山権現 昭和62年10月号
87.羽柴砦 昭和62年11月号
88.町内で最も古い石塔 岡本家の十三重塔 昭和62年12月号