とんがり嶽の地蔵さま
とんがり嶽の地蔵さま
昭和59年7月号
霧生の猟犬訓練所あたりから、川上川の流れを見ながら遡ること300m、県道から川に向ってズーッと見上げていくと、杉や雑木に覆われて大きく、聳え立つように、みるからに険しい山が「鋒り嶽」です。
この山頂に小さい祠(ほこら)と石碑が3基、この本尊が「延命地蔵大菩薩」です。
戦前までは、沢山の善男、善女の信仰を受け、近在は勿論のこと
一志郡や、遠くは大阪方面からも信者が訪れ、毎日のように登山する人があったようです。
最近でも、この山の信仰心は絶えないようで登山する道もよく残されている。
川上川に架けられた作業用の丸木橋を渡り、杉林の門を可愛い草花に見送られながら100mほど登り、台風で荒れた谷川を渡ってから急な登り坂を約30分、よく手入れされた杉林を過ぎると、霧のためか少し濡れたように見える緑あざやかな雑木林や突き出た岩が多くなってくる。
急に道が狭くなり、木々の茂みでトンネルのような所もある。
狭いおどりばと燈籠、一段高い所に石碑が2基、西へ迂回した所に大きな石碑「延命地蔵大菩薩」と裏面に建立者と、昭和6年12月12日と刻まれていた。
昭和の始め、霧生の天照寺の東の山で地元の人達が炭焼中に石仏を発見、その時一緒に作業をしていた3人の人達がこの石仏の霊を慰める意味で、新しい石仏2基を刻み、以前から山岳信仰のあった鋒り嶽の山頂に安置したそうです。その後一志郡の信者が建立した石碑が一基あります。
頂上に立つと美しい景色が眼下に開け遠く上野方面が望める。また北方には手に取るように髻(もとどり)ケ嶽が迫ってくる。秋になれば遠く井駒方面の灯りが見えるようです。
爽やかな風と緑、荒々しい岩と木々、なんともいえない神秘さが迫ってくる。
昭和59年目次
41.町内で最も古いといわれる寺脇の宝厳寺(ほうごんじ) 昭和59年1月号
42.巨岩に刻まれた高尾鈴又の不動明王 昭和59年2月号
43.じもとではかんじょうしの霧生城址 昭和59年3月
44.別府の十王石仏 昭和59年4月号
45.葛原氏・滝野氏の祖先 昭和59年5月号
46.古代のルートをしめす老川如来への道分地蔵 昭和59年6月号
47.とんがり嶽の地蔵さま 昭和59年7月号
48.大昔の古戦場 伊賀の青墓 昭和59年8月号
49.敬叟(けいそう)禅師産塚をたずねて 昭和59年9月号
50.火伏、鎮火の神 秋葉さんと愛宕さん 昭和59年10月号
51.腰山の阿弥陀さん 昭和59年11月号
52.神風の昔がしのばれる柏尾の懸仏(かけぼとけ) 昭和59年12月
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