絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

伊勢の堺、伊賀齋王堺屋の祭祀場跡

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伊勢の堺、伊賀齋王堺屋の祭祀場跡

昭和58年3月号

 伊勢に通じる国道165号線ぞいの青山峠に、程近い南青山高原道を少し入った東の山頂に平坦な地があります。この地を「堺屋」といいます。

 平安の昔、伊勢神宮につかえた齋王(さいおう)=またの名を齋宮(いつきのみや)ともいい、天皇の名代として伊勢神宮につかえる皇女のこと=が任を終えて斎宮から川口を経て、京都へ帰る途中に休息し、この地で十二単衣姿の美しい齋王が堺祭をしたと伝えられています。

 この道について「朝野(ちょうや)群戴(ぐんさい)」には次のとおり記されています。嘉永2年(西暦1107年)に斎宮→一志→堺屋→都介(つげ)道→木津川となり、木津川を一度難波まで下り、潔斎(けっさい)のあと再び木津川を上って、京都に入っています。

国道165号線からの展望

 吉事によって帰京する場合は鈴鹿峠の道を使い、事故によって帰京する場合は、この伊賀路を通ったといいます。山頂での齋王は、景色のよさとおいしい空気、清涼な冷水で疲れをいやしたことですが、京へのはやる心には、事故(父天皇の逝去、譲位、忌服など)のため、淋しかったことでしょう。嘉永2年7月に堀河天皇が29歳で亡くなった時の齋王群行であったと思われ、翌年の天仁元年には鳥羽天皇が即位しています。
          国道165号線からの展望

 青山の堺屋では、伊勢での気、すなわち「けがれ」を払って堺の祭りを行い、体を潔め着物を新しいものと替えて一夜を明かし、伊賀の国司が用意した新しい「こし」に召されて京へ向かって出発した。
 そして古い着物や「カゴ」は、谷へ捨てたとあります。そのため青山峠附近には「御屋敷峯」のほか「かご谷」「長者くぼ」「吹上くぼ」などの名称が今も残っています。




昭和58年目次
29.幻の重要文化財羽根亀井家大邸宅 昭和58年1月号
30.青山町の北に眠る城氏朝妻堡 昭和58年2月号
31.伊勢の堺、伊賀齋王堺屋の祭祀場跡 昭和58年3月号
32.霊験あらたか小河内の金毘羅さん 昭和58年4月号
33.歴史散策の小道 阿保頓宮跡から七つ塚へ 昭和58年5月号
34.村の生活を守る境目塚 昭和58年6月号
35.堀抜水路と儀八翁 昭和58年7月号
36.滝の熊野三所神社 昭和58年8月号
37.阿保から老川如来さん参りの近道 八鉢道の今昔 昭和58年9月号
38.兼好ゆかりの薬師寺跡 昭和58年10月号
39.諸木の子安地蔵 昭和58年11月号
40.寿福の神さま下川原の弁天さん 昭和58年12月号

目次昭和59年

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