絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

滝の熊野三所神社

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滝の熊野三所神社

昭和58年8月号

 三重交通バスの滝行きの終点に着いて、上切橋を渡って右側、熊野三所神社の参道へ入ると、目の前に大きな石造りの鳥居さんが見えてきます。昭和56年11月に地元の人が奉納したもので、杉木立の下の参道は苔むしており、右側を流れる渓流の音を聞きながら進むうち、心が洗われてきてすがすがしい気持ちになってきます。

     清流にたたずむ神社

画像の説明

 参道200mほどで社殿に到着し、左側の巨石群の中腹くらいに社殿が、おおい屋の中にたたずみ、建物は桃山期の様式を伝え、小さいながらも美しいものです。棟札は元亀3年のものがあり、明治41年3月23日に式内比々岐神祉(北山)へ形の上で合祀しましたが、信者はそのまま信仰を続け、社殿も保存されていました。その後は分祀され、滝地区の人々が、11月30日を祭礼の日として祭られています。

 熊野信仰がこの地に入ったのは室町時代で、熊野信仰は伊勢信仰とともに民間信仰として室町期、江戸時代に盛んになってきたようで、滝の熊野三所神社の他にも、正治年間(1199年)の勝地に熊野神社の分祀が祭られています。

 熊野本宮、新宮速玉の三宮の神をむかえた滝の熊野三所神社の祭りは、戦前、農家の行事とあわせ、もみまき、植え付け、二百十日、二百二十日などのおりにも祭礼があったようです。社殿には渓流がちょうど手洗場となっており、その上流には滝があり、不動尊の磨崖仏(まがいぶつ)が彫られ、三すじの滝として流れています。その附近には、地元の人が「奥の院」と言っているところがあり、一丈もある御神体の枯れ松とともに神々しい社域となっています。

 ※注 一丈は約3.03メートル




昭和58年目次
29.幻の重要文化財羽根亀井家大邸宅 昭和58年1月号
30.青山町の北に眠る城氏朝妻堡 昭和58年2月号
31.伊勢の堺、伊賀齋王堺屋の祭祀場跡 昭和58年3月号
32.霊験あらたか小河内の金毘羅さん 昭和58年4月号
33.歴史散策の小道 阿保頓宮跡から七つ塚へ 昭和58年5月号
34.村の生活を守る境目塚 昭和58年6月号
35.堀抜水路と儀八翁 昭和58年7月号
36.滝の熊野三所神社 昭和58年8月号
37.阿保から老川如来さん参りの近道 八鉢道の今昔 昭和58年9月号
38.兼好ゆかりの薬師寺跡 昭和58年10月号
39.諸木の子安地蔵 昭和58年11月号
40.寿福の神さま下川原の弁天さん 昭和58年12月号

目次昭和59年

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