絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

伊賀の中山

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伊賀の中山

平成2年2月号

 国道165号線の中山トンネルをぬけると中山橋がある。このあたり“伊賀の中山”といわれ、昔から景勝の地であり、また一面古い時代の交通の難所でもあった。木津川に面した岩山が屏風にように屹立しているので、里人は「天狗岩」といい、下を流れる木津川の渕を「天狗ヶ渕」といった。村の小川には石橋、土橋、丸太橋がかかっていたが、本流には板橋がかかっているに過ぎず、雨で増水すればすぐ流失した。

画像の説明

 今を去る218年前(明和9年)に、松阪の国学者本居宣長が門人たちと初瀬街道を通って吉野旅行をした。街道一の難所だった白山町垣内から伊勢路の宿まで三里の青山峠を、雨にぬれながら越えてきて夕刻おそく松本家に着いた時のよろこびのさまが、吉野紀行の菅笠日記にみえる。

 翌朝、伊賀の中山で前日の雨で増水した木津川を、衣をかかげて渡った。その折、「河づらの伊賀の中山なかなかに、見れば過うき岸のいはむら」の一首を読んだ。川にそって阿保に至り再度木津川を渡ったあたりに、先年、別府(べふ)の今は亡き山本隆夫氏が私財を投じて菅笠日記の大人を偲んだ文学碑を建てられた。伊勢路の集落の入口(旧街道と国道の分岐点)、中山橋のたもと、阿保橋のたもと(水神さん横)の三基である。

 宣長が下川原の中山で、橋の流失した木津川を渡ってから36年後の文化5年(1808年)板橋がかかった。諸人の勧進(寄進)によってかけられたものである。このような橋梁事情の江戸時代に勧進橋のかけられた歴史は尊い。橋詰め近くに「奉供養勧進橋」の碑が建っている。




平成2年目次
113.伊賀・伊勢の境 布引峠の今昔 平成2年1月号
114.伊賀の中山 平成2年2月号
115.諸木のふれあい広場 平成2年3月号
116.指形の道標が示す川上の大円寺 平成2年4月号
117.江戸の文化を今に伝える伊賀名句集 平成2年5月号
118.伊勢路の天王はん 平成2年6月号
119.諸木氏城跡 平成2年7月号
120.県指定文化財「たわらや」の看板類 平成2年8月号
121.県指定天然記念物 奥山権現のブナ林 平成2年9月号
122.名張の沃野(よくや)をうるおす新田水路 平成2年10月号 
123.弘法大師の三度栗 平成2年11月号
124.初代斎王の頓宮跡か照皇宮神明社(しょうこうぐうしんめいしゃ) 平成2年12月号

目次平成3年

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