南朝の要害・・・高尾の城跡
南朝の要害・・・高尾の城跡
昭和60年2月号
伊賀の最南端に当る、高尾は伊勢と境し、重要な拠点として南北朝時代から山城が築かれ、古田の弥八城、酒屋の高尾城などが要塞として知られてきました。
酒屋のバス停近くの山の中腹、岩脇孝さんの旧宅跡の上に現在も遺構が残り、土塁を盛り、間道をかねた周壕をめぐらし、地形を生かした山城としての特長を備えています。
また岩脇さんの旧宅跡は下屋敷として知られ、代々の居館になっていました。
この城は「三国地志」や「北畠国司家臣帳」に「結城左近将監の高尾城」として記録されており、その関連が詳らかでなく「高尾城」は別に存在するのではないかといわれ謎とされていました。
しかし、この居館趾に「八幡さん」と呼ばれる小さい祠があり、その祠の中に江戸期以前と思われる「棟札」があり(岩脇孝氏所蔵)「行時四郎○○戦討死」
号、結城入道 岩脇元祖秀親、結城将監朝親、孫太夫・・・」
と書かれていることが判明しました。
この棟札は、結城将監の子孫が岩脇氏であり「八幡祠」を建て、先祖の霊を祀ったことを伝えています。
この「八幡祠」の東に大きな礎石の上に立てられた仏像を刻んだ石仏が残っており、建立の銘記は読みとれませんが、江戸以前のものらしく、古城趾に風情を添えています。
昭和60年目次
53.五智如来と勝地の里ー北山辺りー 昭和60年1月号
54.南朝の要害・・・高尾の城跡 昭和60年2月号
55.椎の古木 昭和60年3月号
56.江戸時代の上野街道 かんじょう坂 昭和60年4月号
57.岡田の括り地蔵への参詣 世直し捕縛(しばられ)地蔵尊 昭和60年5月号
58.いまも生きる石の燈籠 平穏と安全を希求して 昭和60年6月号
59.県指定天然記念物クマガイソウ群落 昭和60年7月号
60.青山の語源になった阿保山の昔話 昭和60年8月号
61.生活に密着した青山の竹林 昭和60年9月号
62.古刹 上津山宝珠院 昭和60年10月号
63.福丸こっこ 昭和60年11月号
64.阿保地名考 昭和60年12月号
目次昭和61年へ