古刹 上津山宝珠院
古刹 上津山宝珠院
昭和60年10月号
本院は青山町北山比々岐神社境内に在する上津社の別当寺院であった。
上津社は水の神を祭ったのであろう。
地主神を尊崇されていた当院は、元古義真言宗高野山金剛峯寺西宝院の末寺で、中本寺格の立派な寺であった。本尊は不動明王で、昔は佛教研学の修業道場であったという。のち、天正伊賀の乱は、伊賀地方の社・寺に多大な損害を与えた。当事本院は大坊としての中心寺院で、東坊、西坊、北坊、新坊の四ケ寺を持つ構えだったという。
天正9年、織田の兵は本院を残し諸坊を焼き払い多くの文化財も失われた。今残る文化財は、版本法華経八巻(1342年)興国3年の奥書がある(町文化財指定)ほかに大般若経六百巻、「いろは文字」空海筆書等がある。
江戸中期(寛永の頃)英尊という僧が中興開山している。師は寛永20年2月23日歿、二世宥盛は、慶安2年10月2日歿、3世鏡宥は学徳ともに高く、諸国を托鉢して浄財を集め、実に19年の年月を費やし鐘楼を建立した。この名鐘も昭和19年戦争のために回収の難にあった。
戦後、本院も一時無住の状態にあったが、昭和49年、大阪時事新聞社主であった西岡正徳氏が仏門に入られ真海師となられ、本院の住職となった。
宝珠院復興の強い信仰信念が本尊不動明王の霊力の助けを得られ見事に完成した。
想出地蔵尊、馬頭観世音、弘法大師の御影堂など功績は大也。
昭和60年目次
53.五智如来と勝地の里ー北山辺りー 昭和60年1月号
54.南朝の要害・・・高尾の城跡 昭和60年2月号
55.椎の古木 昭和60年3月号
56.江戸時代の上野街道 かんじょう坂 昭和60年4月号
57.岡田の括り地蔵への参詣 世直し捕縛(しばられ)地蔵尊 昭和60年5月号
58.いまも生きる石の燈籠 平穏と安全を希求して 昭和60年6月号
59.県指定天然記念物クマガイソウ群落 昭和60年7月号
60.青山の語源になった阿保山の昔話 昭和60年8月号
61.生活に密着した青山の竹林 昭和60年9月号
62.古刹 上津山宝珠院 昭和60年10月号
63.福丸こっこ 昭和60年11月号
64.阿保地名考 昭和60年12月号
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