絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

寺と桜と滝とうたわれた名所の滝仙寺

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寺と桜と滝とうたわれた名所の滝仙寺

昭和56年3月号

 青山町に発し、伊賀を縦断する木津川の源(みなもと)はとたどって行けば、戸数40あまりの滝地区に達する。江戸末期に書かれた『伊賀名所記』によると、この地には3つの名所があり、昔から

     滝の在所に過ぎたるものは

           寺とさくらと滝の水

とうたわれていたという。
 
 寺とは滝仙寺のこと、さくらとはこの寺のそばにあり、一株より数本の幹が広がり、花の時期には大変美しい大桜のこと、滝の水とは、滝という地名のもととなった矢城川の渓流にかかる滝のことで、ここには不動明王の磨崖仏が刻まれている。寺と滝は、今も名所として名高いが、大桜だけは跡かたもわからなくなってしまった。

 滝仙寺は、滝と妙楽地の73戸を檀家とする真言宗豊山派の寺院で、天正伊賀乱で敵将柘植三郎兵衛の首を挙げながら無念の戦士を遂げた滝三河守保義の実弟、宥海法印という人が開山したものである。
 
 この人は、乱の当事、大和国牛ケ峯(山添村)の岩屋寺というところで修行中の身であったが兄の戦死を知ると、ただちに滝村に帰り、兄の遺志をついで滝城を固め、織田軍と対峙した。

県指定文化財で大威徳明王像のある滝の滝仙寺

県指定文化財で大威徳明王像のある滝の滝仙寺

 伊賀が全滅した後は牛ケ峯にのがれ、やがて信長が本能寺で倒れると故郷でなき人たちの菩提を弔うことを決意し、本尊の阿弥陀如
来像、県の文化財に指定されている大威徳明王画像、町指定文化財となっている五鈷杵(ごこしょ)などを携えて帰り、滝泉寺という寺を建てた。

 その後、この寺号は伊賀の国守となった藤堂和泉守高虎に遠慮し、泉の字を仙に改め現在に至っている。
この寺には文化財が多く、南北朝時代の石造九重塔や鎌倉時代の作かと思われる如意輪観音画像などもある




昭和56年目次
7.伊勢参りの僧が再建した護国山天照寺 昭和56年1月号
8.阿保親王といわれる息速別名の墓 昭和56年2月号
9.寺と桜と滝とうたわれた名所の滝仙寺 昭和56年3月号
10.万葉の桜がしのばれる阿保山の桜 昭和56年4月号
11.小川内で発見された石器の原石 昭和56年5月号
12.奥鹿野で語りつがれた神穴伝説 昭和56年6月号
13.深瀬渓谷の隠れた名滝高尾観音瀑 昭和56年7月号
14.湯神楽の笹は水難除け水神まつり 昭和56年8月号
15.天正伊賀乱の緒戦地伊勢路掛田城 昭和56年9月号
16.青山最古の開拓地か羽根塚原遺跡 昭和56年10月号
17.秋まつりの伝統行事獅子舞い 昭和56年11月号
18.天狗の難所がトンネルに伊賀の中山 昭和56年12月号

目次昭和57年

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