絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

阿保親王といわれる息速別名の墓

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阿保親王といわれる息速別名の墓

昭和56年2月号

   遠き昔に すめ皇子の
       宮いましけん 阿保の里
   貴き光に 恵まれて
       山麗らかに 水清し

 今どきこの歌詞を覚えておられる方の数は、ごく限られているだろうが、これは終戦までうたわれていた阿保(あお)小学校の前の校歌で、昔を知るものにとっては、思い出なつかしい歌である。

 ここでいう皇子(みこ)とは第11代垂仁天皇の皇子、息速別命(いこはやわけのみこと)のことをいう。この方は、伊賀地方を治めるため派遣された皇子で、阿保に宮室を築いてお住みになっていたことから、通称は『阿保親王』と呼ばれ、その子孫も代々阿保の地に住み、第19代允恭天皇のとき居住地の名により『阿保』という姓を賜ったといわれる。

 その墓は阿保西部のまちはずれ、種生・矢持に通じる県道のすぐ下にある。明治9年に御陵として指定されて以来は、四方に玉垣が張りめぐされ、正面には遥拝所もある立派なお墓で、伊賀地方では唯一の宮内庁所管陵墓である。

   伊賀地方唯一の宮内庁所管陵墓の”阿保親王塚”

伊賀地方唯一の宮内庁所管陵墓の”阿保親王塚”

 この墓が、本当に息速別命のものかどうかという確証はなく、古代王族の陵墓としての規模から考えると、名張市新田の馬塚や、大村神社の森の方が、それにふさわしいのではないかなど、諸説が出されているが、何れも千数百年も前の話で結論は出し得ない。
 
 しかし、土地の人びとは、このお墓自体を「親王さん」の愛称で崇拝してきたし、氏神となっている大村の神とは息速別命らしいことなどからして、阿保住人の遠祖となる人の墓には違いない。
 
 今青山町に『アオ』の姓を名乗る家はないが、室町時代の阿保城主は安保若俠守という人がいたようなので、これが末裔かと思われる。




昭和56年目次
7.伊勢参りの僧が再建した護国山天照寺 昭和56年1月号
8.阿保親王といわれる息速別名の墓 昭和56年2月号
9.寺と桜と滝とうたわれた名所の滝仙寺 昭和56年3月号
10.万葉の桜がしのばれる阿保山の桜 昭和56年4月号
11.小川内で発見された石器の原石 昭和56年5月号
12.奥鹿野で語りつがれた神穴伝説 昭和56年6月号
13.深瀬渓谷の隠れた名滝高尾観音瀑 昭和56年7月号
14.湯神楽の笹は水難除け水神まつり 昭和56年8月号
15.天正伊賀乱の緒戦地伊勢路掛田城 昭和56年9月号
16.青山最古の開拓地か羽根塚原遺跡 昭和56年10月号
17.秋まつりの伝統行事獅子舞い 昭和56年11月号
18.天狗の難所がトンネルに伊賀の中山 昭和56年12月号

目次昭和57年

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