絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

権現谷の双つ渕(ふたつぶち)

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権現谷の双つ渕(ふたつぶち)

平成8年9月号

画像の説明

 木津川の支流奥山川の清流に沿って勝地湯之口橋から奥山権現に至る約6km美林が続く勝地林道を、約2km登った所に“双つ渕”の滝がある。上の滝が雄滝、下の滝が雌滝である。

 昔この滝のあたりに大蛇が棲(す)んでいて、山に入る里人達が思案の末、当時、大山田村(旧布引村)坂下に権勢を誇っていた福持九郎久太夫に大蛇退治を懇願した。福持家は、旧布引村一帯を領し、九郎久太夫は剣術の達人でもあった。

 将軍家拝領の名馬“するすみ”に乗って、権現谷双つ渕に住む大蛇退治に向かった。

 時恰(ときあたか)も天文9年(1540年)深山の大蛇と対峙(たいじ)すること7日、漸(ようや)く出没した大蛇を苦闘の末見事に退治した。大蛇の血が奥山川の清流を真紅に染めて流された。奥山川を流れた大蛇の血が木津川(旧長田川)に入り、勝地の丸血橋で止まった。勝地の先人が、大蛇退治を喜んでこの渡しを丸血橋と命名した。今も護岸の根石に、大蛇の血の丸い血痕の跡がある。その後は、里人達が安心して権現谷の山仕事に入ることができた。

 福持九郎久太夫は、大蛇退治を成し遂げた名刀「萩原太刀」を布引村の氏神酒解神社に奉納した。時が下って福持九郎久太夫は、天正伊賀乱に織田勢と戦い、戦禍に斃(たお)れた。

 福持家は、代々当主を久太夫と命名する家柄で、子孫は上野市で健在である。大蛇の伝説を秘めた奥山川の清流は昔も今も変らない。




平成8年目次
185.笛吹の伝説と千方(ちかた)の四鬼窟(よつおにいわや) 平成8年1月号
186.山中半右ヱ門 本陣跡碑 平成8年2月号
187.最も代表的な古墳 羽根・狐塚古墳群 平成8年3月号
188.ロマンただよう桜峠の春 平成8年4月号
189.奥鹿野の菩提寺 保徳山久昌寺 平成8年5月号
190.霧生の鉱山跡 平成8年6月号
191.小さな磨崖仏(まがいぶつ)阿保の子安地蔵さん 平成8年7月号
192.老川の中世城館 若山氏城 平成8年8月号
193.権現谷の双つ渕(ふたつぶち) 平成8年9月号
194.腰山の峯道(みねみち) 平成8年10月号
195.朱の欄干と金色の擬宝珠 大村橋 平成8年11月号
196.矢生(やお)中学校の上高尾分校 平成8年12月号

目次平成9年

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