絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

霧生の鉱山跡

文字サイズ:

霧生の鉱山跡

平成8年6月号

 霧生上出の生活改善センターの前の十字路を左にとって約300m、そこからコンクリート舗装の道を左へ、山に向かって段々に開けた田んぼの間を行きを弾ませながら杉林の中へ、そこから急な山道を暫く登ると砂防ダムが見えてくる。

 美しい水を湛えて流れる谷川を渡ったら、孟宗竹(もうそうちく)の藪の中に小さいが不気味に開けた坑口が見える。枯れた竹が口を塞(ふさ)ぐように倒れていた。

画像の説明

 当時は30m程の坑道があったといわれているが、覗くと1mくらいで、その奥は崩れ落ちて確認できない。周囲には残石が散らばり苔むしている。

 村の人の話では昭和12年頃、大阪の人が来て人夫10人くらいで掘削を始め、鉱石はトロッコで坑口まで運び出し、トラックの入る場所まで架線で出し、大阪方面に送り出していた。

 この鉱石には銅と錫を含むといわれ、鉱脈も東西に広く伸びているようだ。採掘した鉱石は拳骨大程の大きさに割って送り出していた。

 散らばった残石を持ち上げると小さい石でも重く肌は黒灰色でキラキラと美しく輝いて見える。この鉱石は昭和15年頃まで採掘作業をしていたようだが銅や錫の含有率が低かったのか閉山し、戦後まで廃坑のまま放置されていた。

 坑口の少し上のところに「不動明王」を祀(まつ)った祠(ほこら)があり、村の人々の信仰も厚かったので、坑口だけでも崩して子供たちが遊びに来ても安全なようにと村の有志の考えで坑道に入れないようにしたとのことであった。




平成8年目次
185.笛吹の伝説と千方(ちかた)の四鬼窟(よつおにいわや) 平成8年1月号
186.山中半右ヱ門 本陣跡碑 平成8年2月号
187.最も代表的な古墳 羽根・狐塚古墳群 平成8年3月号
188.ロマンただよう桜峠の春 平成8年4月号
189.奥鹿野の菩提寺 保徳山久昌寺 平成8年5月号
190.霧生の鉱山跡 平成8年6月号
191.小さな磨崖仏(まがいぶつ)阿保の子安地蔵さん 平成8年7月号
192.老川の中世城館 若山氏城 平成8年8月号
193.権現谷の双つ渕(ふたつぶち) 平成8年9月号
194.腰山の峯道(みねみち) 平成8年10月号
195.朱の欄干と金色の擬宝珠 大村橋 平成8年11月号
196.矢生(やお)中学校の上高尾分校 平成8年12月号

目次平成9年

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional