絶版になった旧青山町の「あおやま風土記」を紹介します

蔵骨器が多数出土した安田中世墓

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蔵骨器が多数出土した安田中世墓

平成元年8月号

 寺脇区は、かつて宝厳寺が七堂伽藍(がらん)を誇った頃から、その守護、管理に役務を奉仕した人々を祖先として発達した集落だと言い伝えられている。同区の埋め墓は集落の東方山中にあるが、墓石を建てる参り墓は、同寺の境内から東側の小道を約120m以上上った裏山(字安田)にあり、近くの寺有地と交換した拡張整理をする事業が昭和62年3月完成し、墓石の移転も終わった。

 ところが、寺側へ渡す約100㎡の旧墓地跡を整地し植林したところ、数個の土器の頭部が露出したことから町教育委員会が同年7月27日から8月1日まで、上野市の森川桜男先生を担当者とし、寺脇区の方々の労力奉仕を得て発掘調査を行った結果、中世(約600―400年前)の蔵骨器が完全な物も含んで20数基出土した。

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 主に信楽や瀬戸製の直径25cm、高さ25―30cmの素焼きと釉薬(ゆうやく)をかけた壺(つぼ)またはかめで、生活用容器で代用したものもあった。また同時にお供え用の皿類、瓦質の小形五輪塔、字瓦(のきがわら)の破片や古銭(中国の宣徳通宝など)数枚も出土した。

 中近世の住民は土葬が多いのに、火葬の蔵骨器がこれだけ多くまとまって出土したのは珍しく、相当裕福な階層の墓地であろうとされている。

 今新墓地は整然と区画され、無縁墓地には「普明栄光霊」と刻んだ供養石塔も建ち、その後の出土分も合わせた出土品の全部は、公民館2階の階段近くに展示されている。

 
蔵骨器(ぞうこつき)とは、簡単に言えば、骨壺のことで、考古学で火葬や洗骨葬の遺灰や遺骨を納めた容器のことをいう語である。




昭和64年/平成元年目次
101.金の鳥を納めた「唐櫃石(からひついし)」の謎 昭和64年1月号
102.文殊の不動さん 平成元年2月号
103.座禅石と種子曼荼羅 平成元年3月号
104.雨乞いや豊作祈念のかんこ踊りの歌本 平成元年4月号
105.原始農耕時代の遺物か?川上の道祖神 平成元年5月号
106.黒住教名賀教会所 平成元年6月号
107.伝説「おまん田」 平成元年7月号
108.蔵骨器が多数出土した安田中世墓 平成元年8月号
109.笹谷峠に建つ三つの村境地蔵 平成元年9月号
110.伊勢路の宿 平成元年10月号
111.むかしの如来道 平成元年11月号
112.信仰の拠点に立つ地蔵姿の庚申(こうしん)さん 平成元年12月号

目次平成2年

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